
後一条天皇即位の際 奉献された駅鈴
駅鈴・絵馬

駅鈴
大化改新の時代の律々制で駅伝の制が定められた。唐の制度にならったもので、官吏の旅行を容易にするため、主要道路に二十キロ前後の間隔で駅をつくり、馬や宿泊所を置いた。ここで公儀の旅行者の証として使用したものが駅鈴と呼ばれる鈴。駅鈴は特権の象徴で、官吏は、これを鳴らしながら往来した。南宮大社には、二つの駅鈴が保存されている。この駅鈴は、寛仁元(1017)年、後一条天皇即位の際、諸国の大社四十八社に奉献されたものの一つとされている。
駅鈴には刻み目があり、その数によって調達できる馬の数が決められていた。南宮大社の駅鈴には刻み目はないが、底に付いている出っ張りの数に意味があったと伝えられている。

絵馬
南宮大社には、多くの絵馬も奉納されている。絵馬には歴史を象徴する伝説・人物を描いたものや、鍬、鎌などの金属製の現物を取り付けた「金物絵馬」がある。金物絵馬は現在も奉納されていて、中には機械メーカーが奉納したエンジンや機械メーカーが奉納した歯車などもある。金物の神として信仰を集めた南宮大社ならではの絵馬といえる。
椿説弓張月図
「椿説弓張月図」の絵馬は、江戸後期の作家・曲亭馬琴の史伝長編読物が題材になっている。物語では、弓の名手である源為朝が、九州、琉球に渡って活躍する。画面左に弓を持つ為朝の姿が描かれている。